1. ぼくは勉強ができない
「新潮文庫の100冊」の常連であることからも知っている人が多いのではないでしょうか。
文藝賞でのデビュー以来、直木賞、谷崎潤一郎賞、川端康成賞などを受賞し、純文学とエンターテイメントの両方で活躍する作家、 山田詠美さんの作品です。
コミカルな語り口と勉強一辺倒に対する爽やかな反論が面白い一方で、勉強のやり過ぎは悪、恋することこそ善といった二項対立で物事を語ることができた時代に取り残されてしまった作品でもあるように思いました。
2. あらすじ
「ぼくは勉強ができない」。
そう自認するのは主人公、時田秀美(ときた ひでみ)。そんな意識で行動する秀美はクラスの優等生や堅物の先生に迷惑がられているが、そんなやつらの言うことなど意に介さない。
人間として重要なのは女の子にモテることであり、肉体が健康であることであり、様々な出来事を片親のせいにしないことであり、貧しさについて上辺だけの態度をとらないことである。
奇をてらわない溌剌さが世の中の狡さを軽やかにはねのける。そんな高校生、秀美の青春物語9編
3. 感想
時代だなぁというのが率直な感想です。
著者は概ね70年代に青春を過ごしており、出版されたのは1993年。
内容としては、勉強ばかりの優等生や、哲学のことばかりを考えている部活の友達、「不純異性交遊」を咎める教師たちを真っ向から(しかし、鮮やかに)否定するというものです。
その代わり、秀美が大切にしているのは型にとらわれない奔放な考え方。恋人の桃子さんがいるバーに足しげく通い、サッカーにもセックスにも熱をあげ、ときに片親や貧困について素朴な心で考える。
「頭でっかちにならず、人間らしい感覚を大事にしよう」
その単純で力強いメッセージが軽快な文体から伝わってきます。
しかし、そういった「堅苦しい学校的何かの否定」だけで文学を名乗れたり、痛快な気持ちになれる時代は過ぎ去ったといえるでしょう。
スクールカーストはより複雑になり、勉強ができることだけを鼻にかける生徒は消滅し、コミュニケーション能力全盛の時代ではスポーツができて奇抜な発言をするだけでクラスの人気者になることはできません。
作中では秀美がかなりの「陽キャラ」として扱われていますが、学校の束縛から抜け出して真理を探求しようとする彼は現代における「陽キャラ」にはなりえないでしょう。
「敷かれたレール」や「常識」といった大きな概念とではなく、「空気感」「キャラ」「コミュ力」といったもっと小さい(それでいて決定的な)観念と闘う場所が現在の教室であり社会でしょう。
本作にはそういった繊細さ、日常の息遣いへの配慮が大きく欠けています。
良いところもたくさんありますが、単純すぎるところが大きなマイナスとなっている作品でした。
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